ザキヤマという男の物語。

人生は冥土までの暇つぶし。自由気ままな男の物語を書き残しています。

いつまでも子供

離婚したのは2015年3月末。

夫婦仲の我儘/都合で離婚を決めた日、子供たちに接する機会がなくなる代わりになればとの思いから、裁判所が設定している養育費算定表よりも多めに支払う念書を交わしている。

当然ながら生活はギリギリで、離婚後は実家に戻り親に甘えるしかなかった。

「家族・親族の了解を得て一緒になったのに、勝手に2人で決めて別れて帰ってくるなんて。。。」

夫婦の事情で突然孫を手離さなければならなくなった両親のぶつけようのない哀しみと口撃、近所の方の詮索。

我儘が招いた結果だとしても耐えれなかった。

アラフォーになっても親から見れば僕はいつまで経っても子供に変わりない。

有り難いことに、70歳近い両親は未だに現役で夜間の仕事に就いている。

同じ屋根の下で暮らしていても、顔を合わすことが少なかった。

帰宅しても誰も居ない実家は、僕には広すぎた。

そして何よりも耐え難いのが不意にやってくる孤独感だ。

そんな理由から、平日だろうが関係なくお誘いは一切断らず、スケジュール帳にはいつも何かしらの予定が書き込まれていた。

当然ながら家には寝に帰るだけの生活である。

昨日は何時に帰った?

晩御飯、どこで食べてる?

家を空けることが多いが何をしている?

週末の予定は?

また居ないの?

親子関係は良好だが、それが仇となって強干渉だなと感じていた9月末、コミュニケーション不足から親父と衝突した。

何十年ぶりかに大声を張り上げて言い合いになり、父親に言われた一言に深く傷つき憤慨してしまった。

そんなに干渉されるのが嫌なら出て行け!

あぁ。そうさせてもらう。何も1人で生活できない訳じゃない。

親父なりの愛情表現だったのかもしれないが、素直に受け入れる器は持ち合わせていなかった。

自室に籠るなり生活費をシュミレーションし、手頃な家賃で近日中に入居可能な物件をピックアップ。

週末に不動産屋に行き、お願いしていた3つの物件を見せてもらい即日契約。

入居日は10/7。

喧嘩した翌日には気持ちを切り替えて言葉は交わしてはいたが、不用品の処分、引っ越しにかかる初期費用の準備と手伝ってくれる友人探しが全て済んだ10/5に報告をした。

腹を立てずに聞いてほしい。離婚後、当たり前の様に実家に転がり込んで悪かった。取って付けた様なことを言うが、丁度自分の身の振り方を考えている時だった。いい機会と思って家を出る。険悪な状態で逃げるように住処を変えるのは違うと思うから報告しておく。あの日は反発してごめん。

おう、そうか。よく覚悟した。いいぞ!心意気は気に入った。止める気もない。ただな、子を心配しない親はいない。あのまま何のアクションも起こさず実家に居座るつもりだったら、俺から蹴りだしてやるところだった。口調は荒かったかも知れんが、お前が冷静になって親の気持ちを汲んでくれたと信じてる。無理はするな。きつくなったら相談しろ。お金のことで困ったら友人に頼らず親に相談しろ。いいな?

わかった。何から何までありがとう。

こっちがあまりにもかしこまって話し掛けたものだから、最初は眉間にしわを寄せていたが、話し終わる頃には打って変ったように穏やかになっていた。

自分の生活には困らなかったが、所有物である愛車とバイクの保管先が見つかっていなかった。

もう少しの間、置かせてほしいと相談すると、

施錠のしっかりした駐車場は高額だろ?そんな無駄なお金は使うな。このまま倉庫(実家に帰ってから父親と共に改装した屋根付きコンクリート張り)に置いておけばいい。本当ならここで心を鬼にしなければ意味がないのかも知れん。でもお前の心意気は充分わかったし、仕方ない!許してやるよ(笑)

予想の斜め上を切り裂く、父親からの嬉しい裏切りだった。。。

僕は恵まれている。

こんな親不孝者なのに、いまだに目をかけてくれる両親には感謝しかない。